チェルノブイリの教訓。見ようとしなければ見えてこないものがある。
田原総一郎が司会する朝生テレビで津波の被害は甚大なのに原発事故で大騒ぎし過ぎとも受け取れる発言をした女性がいた。
このごろ、識者と呼ばれる人々に足し算やかけ算ができなかったりする方が多いのはどうしたものだろうか。原発被曝の問題は自然災害による目に見える被災者に加えて、さらにすぐには見えないが、5年以上のちに現れる被害者を救おうという問題ではないか。つまり、地震、津波災害の被災者に比べて原発被災者は死亡者も出ていないし、軽いのに大騒ぎし過ぎだ、という人々は全く未来予想をするつもりもないし、自分の目に見えないもの以外、見る気はないし見たくもない、とする態度であきれるばかりだ。
チェルノブイリという教訓が彼らに残っているものは”原子力を平和利用させたい"IAEAの公式データで、思ったよりも放射能の影響は少ない、という程度だったようだ。
天災による被災者は誠にお気の毒だったが、福島原発事故による公害は放射能という敵をきちんと知って、対処すれば被害を防げるのだ。無用な放射線物質の摂取を避ける、放射能からできるだけ距離をとる。今は闇雲に安心させようとするよりも、住民の安全に尽くして欲しい。
チェルノブイリ事故の実態はやはり統計学の壁に阻まれ、なかなか学問的な評価に出てこないようだ。しかし、統計や公衆衛生学が厳しい条件設定のもと、普遍的な全体像を見つけようとするものに対して、臨床は個々の人々を診て状況証拠を積み重ねていくことから、実態を把握していくものだ。その点で、これまでチェルノブイリの医療に尽力されてきた日本人研究者からの報告こそ実態を示しているように思える。これまでの臨床報告の積み重ねがIAEAの統計評価を塗り替える日はいつか来ようが、まだ10年以上はかかりそうだ。事故から20年たっても、まだ、公害は進行中なのだ。長い年数は統計的評価をも困難にしているだけなのだ。
チェルノブイリの経過を見るにつけ水俣病発見、認定までの紆余曲折が重ね合わされる。メチル水銀という測定できる物質でさえ、その公害認定までの道のりは非常に険しかった。統計学の学問的な評価に耐えないなどの理由やチッソという大企業を相手にした戦いがどれほど困難だったか、まるでその当時の出来事を目の当たりにし始めているようだ。水俣の時もある大学の学者達が狂言回しのように踊る。まるでデジャビューだ。しかし、水俣病の認定にいたる歩みも症例報告という現場からのデータの積み重ねだった。その点でチェルノブイリ、つまり放射能公害は水俣と違って、特異的な症状で現れないからたちが悪い。放射能公害を認めたくない人々には先天障害とか、他の原因による発癌が疑われるとか、他疾患の中に埋没させやすい。
今、また、同じ愚が繰り返されつつあるように見え、とても心配だ。
放射能の公害は始まったばかり。長丁場になるだろう。可能な限り放射線物質を摂取しない。東電福島原発や高い放射能汚染地域からできるだけはなれるなど、自衛が大事だ。
このごろ、識者と呼ばれる人々に足し算やかけ算ができなかったりする方が多いのはどうしたものだろうか。原発被曝の問題は自然災害による目に見える被災者に加えて、さらにすぐには見えないが、5年以上のちに現れる被害者を救おうという問題ではないか。つまり、地震、津波災害の被災者に比べて原発被災者は死亡者も出ていないし、軽いのに大騒ぎし過ぎだ、という人々は全く未来予想をするつもりもないし、自分の目に見えないもの以外、見る気はないし見たくもない、とする態度であきれるばかりだ。
チェルノブイリという教訓が彼らに残っているものは”原子力を平和利用させたい"IAEAの公式データで、思ったよりも放射能の影響は少ない、という程度だったようだ。
天災による被災者は誠にお気の毒だったが、福島原発事故による公害は放射能という敵をきちんと知って、対処すれば被害を防げるのだ。無用な放射線物質の摂取を避ける、放射能からできるだけ距離をとる。今は闇雲に安心させようとするよりも、住民の安全に尽くして欲しい。
チェルノブイリ事故の実態はやはり統計学の壁に阻まれ、なかなか学問的な評価に出てこないようだ。しかし、統計や公衆衛生学が厳しい条件設定のもと、普遍的な全体像を見つけようとするものに対して、臨床は個々の人々を診て状況証拠を積み重ねていくことから、実態を把握していくものだ。その点で、これまでチェルノブイリの医療に尽力されてきた日本人研究者からの報告こそ実態を示しているように思える。これまでの臨床報告の積み重ねがIAEAの統計評価を塗り替える日はいつか来ようが、まだ10年以上はかかりそうだ。事故から20年たっても、まだ、公害は進行中なのだ。長い年数は統計的評価をも困難にしているだけなのだ。
チェルノブイリの経過を見るにつけ水俣病発見、認定までの紆余曲折が重ね合わされる。メチル水銀という測定できる物質でさえ、その公害認定までの道のりは非常に険しかった。統計学の学問的な評価に耐えないなどの理由やチッソという大企業を相手にした戦いがどれほど困難だったか、まるでその当時の出来事を目の当たりにし始めているようだ。水俣の時もある大学の学者達が狂言回しのように踊る。まるでデジャビューだ。しかし、水俣病の認定にいたる歩みも症例報告という現場からのデータの積み重ねだった。その点でチェルノブイリ、つまり放射能公害は水俣と違って、特異的な症状で現れないからたちが悪い。放射能公害を認めたくない人々には先天障害とか、他の原因による発癌が疑われるとか、他疾患の中に埋没させやすい。
今、また、同じ愚が繰り返されつつあるように見え、とても心配だ。
放射能の公害は始まったばかり。長丁場になるだろう。可能な限り放射線物質を摂取しない。東電福島原発や高い放射能汚染地域からできるだけはなれるなど、自衛が大事だ。